人生荒波ですが何か!?

アラフィフシングルウーマンの独り言ブログです。

受け入れと状況好転

抵抗をやめて状況を受け入れたら思いがけないことが...


スピリチュアルな世界では、「受け入れる」ことが大切だと言われたりします。
今の状況、状態に抵抗せずそのまま受け入れる。
ある意味流れに任せるということです。
抵抗をやめると不思議と物事がスムーズに流れるとか。

 

今日、不思議な事がありました。
来月から始まる仕事。
これまで何度かお世話になった事のあるリピートのお仕事です。


話が来たとき受けるか否か少し迷いました。
もともと短期の仕事ではあるのですが、
今回は期間が想定よりも短かかったからです。
また、そろそろ長期の仕事をしようかなと考えていたというのもあります。
ですが、せっかく必要してくださっているお仕事。
受けることにしました。

 

この仕事は、同業者がもう1人いるのですが
この人との相性が結構大事。
時間に追われる仕事になるので、連携がうまくいかないと
時間内に終わるのも難しくなるし、何よりストレスが大きくなるのです。


当初、今回は前回と同じパートナーになるということでした。
それもあってこの仕事のオファーを受けました。
ところが、その方が、事情でお仕事ができなくなった、
それでも大丈夫か?との連絡が派遣会社からありました。

 

一度は引き受けた者の、正直この話でまた迷いが生じました。
そして気分も何となく憂鬱に。
一夜考えて、そして自分がどうしたいのかを感じてみたものの
明確な答えは出ず。
気持ちは「イヤだな」という思いが強かったのですが
頭では次の仕事が見つからなかったから困るから引き受けた方がいい
と考えていました。

 

感情を優先するのであれば断るのが正しい選択であったのかもしれませんが
どうにも決めかねたので、流れに身を任せ、オファーを正式に受けることにしました。
そうです。今の状況に抵抗せずに受け入れたのです。

 


そうしたところ、何と、仕事ができないと言っていた相手の方が
またまた状況が変わって仕事を受けられることになったとの連絡があったのです!

 

これには驚きました。
偶然と言ってしまえばそれまでですが、
抵抗せずに起きた状況を受け入れたところ状況が好転したのです。
私が望むように...。

 

何なのでしょうね。
自分の真の望みと存在が調和してきたということなのでしょうか?

 

偶然なのか、ただ受け入れたことに対する恩恵なのか、それはわかりません。
どうにでもとれます。
ただ、そこに意味づけなど必要ないのかもしれません。
起こったことに感謝しつつも、それを受け入れるだけ。
それで良いのかもしれません。
ですが、現実を作るのは自分自身というのに納得した出来事でもありました。

 

 

 

 

 

クリスマス


昨日はクリスマス。
私はとあるイベントに行ってきました。
そのイベントとは、あるキャラクターに関するもの。
私はあるキャラクターが大好きなのですが
そのキャラさんが参加するイベントがあったのです。
私の家から30分足らずで行ける場所です。


正直、行くの迷いました。直前まで。
でも、思い切って行ってきました。


なぜ迷ったのか。
それは自分が今仕事をしていないからです。
そのイベントが、土・日や祝日であったら迷わなかったかもしれません。
でも、昨日は平日。
普通に仕事をしていれば絶対に行けない。
でも私は今行ける状態にある...。


喜ばしいことなのでしょうけれど
仕事をしていないことに不安と若干の引け目があったのです。
仕事もしないで自分の好きなことをして遊んでいることに対する罪悪感。
といっても、家にいても何をするわけでもなく、実質遊んでいるようなものなので
行こうが行くまいが大して違いはないのですが...。


でも、結局行ってきました。
結果行って良かったです。
好きなキャラに会えて楽しかったし幸せだった。


仕事が始まったら逆にそんなに自由に平日を使うことはできないので
それができる今がチャンス!
そんな風に思えました。

 

そして、大切な事は自分の気持ちに正直になること。
自分のやりたい事をやる、ということです。
これって、スピリチュアルではよく言われること。
自分のハートが望むこと、ハートに従って生きる。
そうすると結果は後からついていくる、と。


ですが、なかなかこれが難しいのです。
それを難しいと感じる理由は、恐らくはこれまでの条件付け。
これまで生きてきた過程の中で、「これはダメ」「あれはダメ」
という条件づけがされているのでしょう。
そしてハートよりも、条件付けに基づいた思考に従ってしまいます。


今回の私もそうでした。
私の条件付けは「自分の好きな事をやっていいのは、やることをやっている人だけ」
というものです。
これは中学生の時に、当時学校に行くことができなかった私に母が言った言葉です。

 

この言葉は心のどこかでいつも私に重くのしかかっていました。
だから私はどこか楽しむことに躊躇してしまう部分があるのです。

 

でも、昨日は、やること(仕事)やってないけど自分のやりたい事をやってみました!
ハートにしたがって。したがって良かった。
ハートへの信頼がまた一つ深まったクリスマスになりました。
存在からのステキなプレゼントです。

 

 

 

美容院に行ってきた

今日は美容院へ行ってきました。

今日行こうとは何となく決めていたのだけれど、

予約は取らず。今日の朝予約入れればいいかなと思っていたのでした。

でも今朝になるとなんとなく行くのが億劫に...。

 

 

予約が取れるかネットでみてみると希望の時間はすでに埋まっていました。

さて、どうするか・・・。

別日にするか、時間を妥協するか。

決めかねた時、ふと、月の満ち欠けの関係でヘアカットに良い時期があったことを思い出し、調べてみました。

 

 

 

すると...

 

・満月が良い

・デットクス期である満月から新月に向かう下限の時期が良い

・早く髪を伸ばしたいのであれば新月から満月に向かう期間が良い

等々の情報を得ることができました。

 

 

 

満月は明後日。数日くらいだったら延期するのもありかな?

さてどうしたものかと考えれば考えるほど迷ってしまいました。

色々な情報を得れば得るほど迷いも大きくなっていきます。

なので、情報ではなく自分がどうしたいかで決めようと、ハートに尋ねてみました。

今日行くのが良いのか、それとも日にちを変えた方がよいのかと。

でも、残念ながらこれでも明確な答えを得ることができませんでした。

なんとなく、日にちを変えた方が良さそうな感じはしましたが

今日行くのとさほど大きな違いはありませんでした。

(ちなみに、私のやり方は瞑想を使って、2つの選択肢それぞれについて、

それをやったらどうなるか?とハートに問うものです。

そのときのハートの感覚は良い感じかなのか、嫌な感じなのか、その感覚を大切します)

 

 

 

結局どうしたかというと、今日美容院に行くことにしました。

明日は冬至で切り替わりの時期だから今日中に古いものは捨てよう

という理由をこじつけて。

 

 

結果、行ってよかったと思っています。

正直言うとカットの仕上がりは100%満足ではないのですが、

ハートが喜んでいるのがわかります。

気持ちもスッキリしました。

 

 

それに今日はよく晴れて暖かい日だったので

美容院への道のりもとても快適でした。

 

 

 

 

さて、今日美容院にいくかどうかで1時間以上も迷った私が思った事は

「情報に振り回されるな!」いということです。

 

 

今朝私は自分がどうしたいのか明確ではなかったので

それならばと運気が良くなりそうな時期を調べたのですが、

その結果は迷いが増えただけ。

 

 

 

月の満ち欠けや六曜等、この日はこれをするのに適している、

この日はこれは避けた方がいい等、いろいろありますよね。

そういった事を一つの行動の指針にするのは悪いことではありません。

私も何となく六曜を気にすることもあります。

 

 

 

ですが、最終的には自分がどうしたいかです。

そういった情報を頼りにするのも一つの方法だけれど

それが余計に悩みを増やすこともあると思うのです。

だから、そういった情報は情報として受け止め、

その情報を得たうえで自分がどうしたいのかを感じることが大切だと思います。

 

 

 

今日の私でいえば、行くのがメンドウだなと思ったけれど

心の奥底では今日行った方がいいと思っていたのでしょう。

だから、満月の時が良い、下限の月の時期が良いという情報があっても

すんなりとそう決めることができなかったのでしょう。

 

 

「思い立ったが吉日」これ本当にそうだと思います。

ハートは知っているのですよね。

今、自分がどうしたらよいのか、どうすることがよいのかを。

だけど、あれやこれやと余計な事を頭で考えるから迷いが出る。

頭ではなくハートで感じる。

これがスピリチュアルということなのかなと思っています。

 

昨日見た夢

昨日の朝、不快な夢で目が覚めました。

夢の中でハッキリとした恐怖を感じ、目覚めた時も不快感が残っていました。

そして胸がとても重苦しく痛い

 

 

昨日の夢は次のようなものでした。

 

 

私はエレベーターに乗っている。

2人の男性が同乗している。

2人とも知らない人だが、

なぜかそのうちの1人は私と同じ階で降りるであろうことを知っていた。

ところが、2人とも先に降りてしまった。

降りたのはおそらく2階。

そして私は思った「あれ、なぜあの人この階で降りたのだろう?」

 

 

そして、エレベーターに1人残った私は目的の階に向かう。

が、降りられなかった。

目的階のボタンを押していなかったのかどうかは定かではないが

通過したことに気づいた。

 

 

上に行って降りてくればいいやと思ったのだが、恐怖はここから始まったのだ。

エレベーターはその建物の最上階をすぎてもまだ上昇しつづけたのだ。

エレベーター内の数字が28まで行ったのは覚えている。

夢の中で「この建物は6階だ」と思ったのを覚えている。

6階しかない建物なのに、28階まで行った。

もっと上まで行ったのかもしれないが覚えている数字は28階だった。

そして、そこから降りてきた。

なぜあり得ない階まで行ったのか。

そして勝手に降下しているのか。

恐怖と焦りで若干パニックになっていた。

 

 

恐怖と焦りで混乱しながらも非常ボタンで通報しよう!

という思いには至った。

 

 

そして、非常ボタンを押そうとしている所で目が覚めた。

目覚めたときもまだ恐怖は残っていた。そして強烈な不快感。

 

 

とにかく嫌な夢だったので、この夢にはどんな意味があるのかと

ネットで意味を調べてみました。

 

・気持ちが安定していない

・状況をコントロールできない

・運気が低下している

・トラブルの前兆

 

 

と、総じてあまり良い意味ではなさそう。

でも、一つ救いだったのは非常ボタンを押そうとしているところは

問題に対処していこうという前向きな気持ちのあらわれ

という解釈ができそうなことでした。

 

 

 

さて、この後、身支度と部屋の掃除を終えセルフヒーリングを行いました。

私がやっているのは、瞑想をしてハートにつながり

ハートの愛でヒーリングを行うという方法です。

久しぶりのセルフヒーリングでしたが、終わった後は胸の痛みがとれていました。

ちょっとしたことを自分でヒーリングできるというのはとても便利ですね。

 

 

 

2日たった今、その時の恐怖と不快感は記憶としてはあるけれど

感覚的には残っていません。胸の痛みも。

ですので、その夢自体はもう怖くなくなりました。

が、何となくエレベーターに乗ることに抵抗があり

自宅マンションのエレベーターは使っておりません(^_^;)

 

 

 

 

 

スピリチュアルへの想い

スピリチュアル、というかスピリチュアルを仕事にしている人に対して想う事。

もちろん、全ての人ではなく一部の人ですが...。

思う事はあるのですが、なかなかそれを発信する勇気は在りませんでした。

でも、私の気持ちに似ている事を発信している方がいらっしゃいました。

 

 

 

「占いやスピリチュアルで傷つく人を増やしたくない」

その言葉に共感です。

 

 

私はスピリチュアルを全否定するつもりはありません。

でも全肯定するつもりもありません。

スピリチュアルは役に立つものだと思います。

でも、スピリチュアルとの付き合い方には注意が必要だとも思っています。

 

 

私はあるヒーリングを受けて、色々な事が楽になった経験あります。

瞑想も助けになりました。

でも、同時にダメージも受けました。

 

 

だからこそ思うのです。

スピリチュアルとの付き合い方が大事だと。

 

 

これから少しずつ、私がスピリチュアルに親しむ中で起きたこと、

感じたことなどを書いていきたいと思います。

 

 

 

好きなところ100

先日、相棒の誕生日があった。

その数週間前、全く別の目的で入った書店である物をみつけた。

「あなたの好きなところ100」というカード状のもの。

 

 

説明文をみると、カード一枚一枚に、

プレゼントする相手の好きなところを書けるようになっている。

パッとみて、「素敵だな」と思った。

 

 

その場では購入せず、家に帰ってネットで情報収集。

検索をすると

「あなたの好きな所100 重い」というワードが出てきた。

なるほど...。

確かに、想いが詰まっている分、「思い」と感じるのもわかる気がする。

手編みのセーターのようなものか。

 

 

重いという意見が気にならないわけではなかったが結局購入した。

一緒に時をすごしてくれていることへの感謝と

これからも共に時を過ごしたいという意思の表れとして。

 

 

そして好きなところを書くこと100個。

相棒さんがどう受け止めるか、少々気にしつつも渡した。

『重たかったらゴメンね』とココロの内でつぶやきながら。

 

 

翌日、相棒さんからメールが来た。

「1時間かけて読んだ。感動した。大切にするよ」と。

喜んでもらえたようで少しホッとした。

 

 

正直、書くことに詰まることもあった。

しかし、今思うと「あ、あれ忘れた!これもあった!」

というものがいくつも浮かんでくる。

きっと書くときの自分の気分にもよって

思いつくことが違うのだろう。

せっかく、思いついたのだから100個を超えて書き溜めてみるか。

 

 

 

 

相棒さん、喜んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

母の想い

昨日今日と、朝から気持ちの良いお天気でした。

その気持ち良さに誘われて、引き続き部屋の掃除。

 

 

毎年この年は断捨離をしていて

今年一年で増えた者もさほどないのに

やっぱり捨てるものって出てくるものですね。

だいぶ部屋がスッキリしました。

クローゼットの中も整理してスッキリ!

うん、気持ち良い。

 

 

そして、整理していて出てきたものが母からの一通の手紙。

もう10年以上前にもらったものです。

当時は彼と付き合い始めたころ。

 

 

初めてできた彼。

喜びと心配が同居しながらも

暖かく見守ろうとしている親心を読みとることができました。

 

 

10年前、私はこの手紙を読んでどんな気持ちになっただろう?

その時の気持ちは覚えていないけれど

多分素直には受け取れなかったと思います。

 

 

今は母の気持ちをとてもありがたく思います。

心配、不安な気持ちはたくさんあると思います。

それでも口うるさい事を言わず黙って見守ってくれている。

なかなかできることではないのだろうなと思います。

子どものいない私はそれを体験をもって感じることはできないけれど...。

それは少し寂しくもあり申し訳なくもあり。

でも、こんなふうに思えるようになっただけでも大きな変化。

そう思います。