人生荒波ですが何か!?

アラフィフシングルウーマンの独り言ブログです。

嫉妬

しくじり先生」をみた。

先生は南海キャンディーズのお2人。

 

 

山ちゃんのゲスッぷりに若干引いたけれど、その気持ちは実はわかる。

 

・嫉妬する気持ち

・他者に弱みを見せられずどんどん追い込まれる行く事

 

とってもわかる。

山ちゃんは「嫉妬をするのは自分が頑張れていない時」

というような事を言っていたけれど、本当にその通り。

 

 

思うのだが、嫉妬の対象というのは

「頑張れば自分も手に入れるかもしれない」と感じるものであることが多い。

 

私の場合でいえば、例えば年収1億だとか

100人いれば90人が美人というような顔の持ち主だとか

そういう人に対しては「いいなあ」と思う事はあったとしても

妬ましさは覚えない。単純に羨ましいという気持ち。

羨むことと嫉妬は違う。嫉妬は羨ましいから転じた妬ましさを伴っている。

その妬ましさが外に向けられると、対象者への嫌がらせになるし

内に向けられると自罰傾向になる。

どちらになるのかは本人の性格というか性質によるのかもしれない。

 

 

私は内側に向かうタイプだ。

まず嫉妬を覚えた自分を非難する。

そして

「その人がしてきた努力を自分も同じだけ積み重ねることができるのか?」

と自問自答する。答えはほんんどの場合がNO。

そうすると、自ずと「なら仕方がないよね」となり

嫉妬という感情は、ほぼほぼ消失する。

 

 

そして外に向かないのはもう一つ理由がある。

「嫉妬している」と思われるのが嫌だからだ。

嫉妬なんてみっともないもの。

そんなみっともないことをやって

人に嫌がらせをするなんてもっとみっともない。

そんなみっともない姿を人に見られるのは許せない!

自分の中の変なプライドが、外に向かう事を自制していると言ってよいだろう。

 

 

ただ、これは理性で抑えているようなものだ。

頭で理解することで本当の気持ち(感情)を封印しているのだ。

抑え込まれた感情は消化不良となってハラの奥に留まる。

そして消化されていないことに気づくことがないままに

肥大化していくのである。

 

 

私がそのことに気づいたのはスピリチュアルを嗜でからだ。

瞑想を始め、ヒーリングを受け、スピリチュアルな考え方を少し知った。

そして、感情を抑え込むことは良くないのだということに気づいた。

 

 

どんな感情であれ、感情そのものに良いも悪いもない。

だから、ネガティブな感情を抱いたとしてもそれで自分を責めることはない。

ただ、感じればいいのだ。

 

 

今、自分は何を感じているのか。

嬉しいのか、哀しいのか、悔しいのか、妬んでいるのか...。

大事な事を自分の感情に気づくこと。感じること。

そしてその感情をあるがままに認めること。

「あ、今私は嬉しいんだな」「あの人に嫉妬してるな」

それに気づき、ただ認めるだけ。

「嫉妬なんてよくないことだ!」「自分はダメだ!」

なんて思う必要はない。

それは感情ではなく頭が判断していることだ。

必用なのは理性ではなく感情。

不思議な事に、気づいて認めるだけで感情は静かになる。

そして、更に不思議な事にネガティブな感情が愛に満ちた感情になるのだ。

 

 

しくじり先生を観たことで、こんな想いが湧いてきたので綴ってみた。

このブログでスピリチュアルなことについて書こうかどうしようか迷っていたのだが

これから少しずつ綴っていきたいと思う。